長時間労働が人を育てるのか?~人材成長と長時間労働の関係~

リクルートで働いていた頃、毎日のように終電かタクシーで帰宅する日々だった。

もちろん私だけではない。
23時になってもフロアには半分以上の人が残っているのが日常だった。

・提案書を作っている営業マン
・新人営業マンの相談を受ける上司
・編集記事を書くためにミーティング重ねる編集スタッフ

残業している理由は様々だが、リクルートの業績アップにつながる仕事であることは間違いなかった。

当時の「リクルートはみなし残業制(給料に45時間分の残業代が含まれている制度)」のため、長時間労働をしても給料が増えるわけではない。自分の金銭的な利益にならないにも関わらず、深夜まで頑張る社員が溢れるリクルートが人材輩出企業と言われるのは必然だろう。

しかし、当時の私はこんな疑問を持った。

「リクルートは長時間労働のお陰で人が成長するのだろうか?成長したいなら長時間労働が必要だと語る経営者は多いが、本当にそうだろうか?」

本記事では「本当に長時間労働が人を育てるのか?」という問題にスポットを当て、私の考えを解説したいと思う。

長時間労働の種類

「長時間労働」と「人材成長」の関係を語るときの重要なポイント。それは長時間労働には2つのパターンが存在するということだ。

1つ目は労働時間の多くを「作業」に費やすパターン。システム会社での単調なプログラミング作業、営業会社で行なうマニュアルに沿ったテレアポ、経理部門での決算作業など、決められたルールに沿って作業をこなす長時間労働だ。

2つ目は当時のリクルートのように、どうすれば課題を解決できるか考える、つまり労働時間の多くを「思考」に費やすパターン。システム会社では「この動作をさせるための最適なコードをどう書けばよいか?」を思考する時間、営業会社では「どうすればテレアポ効率を上げられるか?」を思考する時間が該当する。

「作業」による長時間労働では人は成長しない

勘の良い読者なら気付いたと思うが、「作業」は成長できない長時間労働、「思考」は成長できる長時間労働だと言える。

もちろん企業にとって「作業」は重要な仕事であり、作業自体がなくなることはないだろう。しかし、わかりきっている作業を長時間やっても人が成長することはない。

ちなみに、人材輩出企業は「作業」であっても「もっと良くする方法はないか?」を考えるように社員に要求する。「思考」を要求することで人材成長を促すと同時に生み出された改善策を活かして「作業」を減少させていくのだ。

例外:「作業」による長時間労働は知識の吸収には最適

作業による長時間労働は「知識の吸収」には有益な手段だ。例えば、エクセルの関数を使いこなせる人はデータ集計作業が早い。長時間労働により、様々な関数を使いデータ集計パターンを増やすことで知識を獲得できるだろう。

転職したばかりの人ほど長時間労働をする傾向があるが、それは正しい行動だと言える。新しい仕事は「作業」を経験すればするほど早く知識を吸収することができるからだ。しかし、ある時期を超えると知識の吸収スピードが極端に鈍化していくことは理解しておく必要があるだろう。

長時間労働において考えるべきこと

もし長時間労働に悩んでいるのであれば、その仕事が「作業」なのか「思考」なのか考えてみて欲しい。

「思考」による長時間労働であれば問題ない。健康を害すほど働くのはダメだが、「思考」の時間は必ず人を育てる。「思考による長時間労働」の代表格、ボストン・コンサルティングやマッキンゼーで働く人材の優秀さを見れば理解していただけるだろう。「どうすればこの問題を解決できるか?」と悩み苦しみ抜くことで、大きな成功に辿り着くことができる。

逆に「作業」による長時間労働を強要されているのであれば、その会社を去ったほうが良い。もし裁量権がある立場であれば、「思考」に時間を費やし、「作業」の時間を減らせないか考えるべきだろう。

今後の日本

「成長」という名の人参をぶら下げ、大量の若手人材を採用するブラック企業は意外と多い。ブラック企業で人材が育たないのは「作業による長時間労働」が横行しているからだと考えて問題ないだろう。

しかし、経営者に悪気があるわけではない。「作業による長時間労働」、「思考による長時間労働」と人材成長の関係性を理解していないことが根本原因だと思う。まずは経営者が人材成長の仕組みを理解することが先決だ。

ワークライフバランスが叫ばれる現代。「作業」による長時間労働は撲滅すべきなのは間違いない。

しかし「思考」による長時間労働はもう少し許容されても良いのではないかと個人的には思う(健康・法律面の配慮は必要だが)。「思考」による労働時間を削れば削るほど、イノベーションが生まれなくなり、日本は世界から置いて行かれてしまうのではないだろうか。

「思考」を続けることは苦しい。
しかし、成長したい若者には「思考」に時間を使うことを意識して欲しいと心から思う。